|
岡山市高松稲荷に建てられている「最上稲荷山妙教寺」です。
※初詣時、最上稲荷教総本山妙教寺でしたが、2009(平成21)年に日蓮宗に復帰しています。 |
最上稲荷は(正式呼称は最上稲荷山妙教寺といい)、天平勝宝4(752)年に報恩大師が八畳岩でご本尊の最上位経王大菩薩を感得されたことに始まります。「龍王山神宮寺」として繁栄したものの、戦国時代、羽柴秀吉(豊臣秀吉:1536-1598)の備中高松城水攻め(1858年)の際、戦火によって堂宇焼失の憂き目にあいました。ただし、ご本尊の最上さまだけは八畳岩の下の元宮と呼ばれる場所に安置され難を免れました。
新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招き、最上さまの霊跡を復興されたのが慶長6(1601)年のことで寺名も「稲荷山妙教寺」と改められました。
以来「不思議なご利益をお授け下さる最上さま」として多くの人々の信仰を集め、 伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷として最上稲荷は1200余年の歴史を通じて仏教の流れを汲んだ稲荷だそうです。
日蓮宗の寺院でしたが、1954(昭和29)年7月日蓮宗から独立しました。2009(平成21)年に日蓮宗に復帰しました。 |
総社インターを降りる前から凄い渋滞で前に進まず昼過ぎにはついていましたが最上稲荷に初詣できたころには既に夕闇が迫っていました、正月には車ではもう来たくないと言うのが正直な感想でした。 |
岡山市高松稲荷712 |
|
|
|
|
|
|
|
|
大鳥居 |
1972(昭和47)年に建立された。高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tだそうです。 |
仁王門 |
旧仁王門が昭和25(1950)年の山火事で焼失した。中興350年記念事業として再建が計画され、昭和33(1958)年に完成。 インド様式の石材建築の仁王門です。 |
本殿
(霊光殿) |
開山千二百年記念事業として昭和54 (1979)年 に完成。
代表的な行事の舞台となり、年間約300万人の参詣者を迎える総本山の信仰の礎となる殿堂の代表です。
本殿前には長さ約12m、総重量1.5t の大注連縄がかけられている。 |
血吸川 |
鬼ノ城山(397m)〜総社市赤浜あたりまで全長≒8kmの河川。
吉備津彦命に追われた温羅の(左目から)流す血で真っ赤に染まったと云われる川。
この川の小石を傷口にあてれば、悪い血が吸いとられるとの伝承があるそうです。 |
|