|
岡山県総社市総社に鎮座している「備中国総社宮」です)。 |
祭神:大名持(おおなもち)命(=大国主命)、須世理姫命
相殿:御鎮魂八柱神
(高御産霊神、神産霊神、魂留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮売神、事代主神、御膳神) |
由来沿革
平安末期の創建で備中国の総社である。備中国内代償神祇304社の神祇を奉斎してある。
天正年間まで神領があった。天正10(1582)年兵火で焼失し慶長13年に再建。貞享4(1687)年に本殿を改築。明治5(1872)年11月に県社に列格した。昭和52(1977)年火災で本殿を焼失、昭和54年に再建した。
平成6(1994)年総社跡(境内)が市重要文化財に指定された。 |
総社の由来
総社の初め、仁徳天皇(313〜399年)の皇妃八田皇女の名代として八田部(八部)と呼ばれ、その後大化の改新(645年)によって、吉備国が備前(和銅6年美作国が分かれてできる)、備中、備後の三ヶ国に分かれて備中国の国府が総社市金井戸に置かれ、国司が中心となって祭政一致の政治が行われていた。この後、平安末期になると国司の力が弱まって国内の豪族勢力が強くなったので国司が毎年304社(末社を合わせると324社)を巡拝することが困難となり、そのうえ巡拝の煩わしさを避けるため国府の近くに社を建てて神々を合祀したので、總社と呼んだ。
戦国時代頃になってから、總社を總社宮とか總社大明神と呼ぶようになり、社の總社が地名として呼ばれるようになって、八田部村の枝村として總社村となった。
以後明治8(1875)年6月29日八田部村、清水村、井手市場、井手村、金井村が合併して總社村となる。
つづいて明治29年2月26日總社町となり、昭和28(1953)年に施行された町村合併促進法により昭和29(1954)年3月31日近郷の村々と合併して総社市になった。また平成17(2005)年3月22日都窪郡山手村、清音村も合併した。 |
資料は総社宮でいただいた由来紙を参考にしました。 |
JR東総社駅からすぐで、国道180号線に接していますので参拝には便利なところに位置しています。
大きな神社でした・・・摂末社もあり、忠魂碑も建立されていました。江戸期の社殿が戦火からもまぬがれたというのに1977(昭和52)年に焼失したのが残念なことだと思いました。 |
05.08.31裕・記編集 |