吉備津彦神社

  岡山市一宮に鎮座している「吉備津彦神社」です。
               吉備津彦神社、現:別表神社 旧・国幣小社
社名のとおり吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祭神とし、古くから備前国の一宮
※1として崇敬を集めてきた。
16世紀後半に、金川城主松田氏に迫害され、社殿は焼き払われたが、元禄10(1697)年に再建された。しかし、昭和5(1930)年本殿、随神門、宝物殿を残して焼失、現在の拝殿等は昭和11(1936)年に建てられたものである。
「本殿」は、三間社流造(さんげんしゃながれづくり):桁行三間・梁間二間、屋根は流造り、桧皮葺の流麗な建築である。元禄時代1688〜1704)の建立で、県指定重要文化財となっている。 このほか、「子安神社社殿」(市指定重要文化財)、「神事絵巻」(県指定重要文化財)や毎年八月に行われる「御田植祭」(県指定重要無形民俗文化財)、十月の「流鏑馬神事」(市指定重要無形民俗文化財)等が貴重な文化財として広く知られている。
  
※1)岡山県神社庁の資料では『本州一宮、吉備之國一宮、国の宗祖神を祀るお社として崇められてきた。』とあります。
吉備津彦神社のweb siteで吉備津神社と吉備津彦神社の違いについて次のように述べています
『古くは二社とも「大社 吉備津宮」と云われていたようです。
645年大化の改新以後、吉備国が備前、備中、備後の国に分けられて以来、吉備津彦神社はは備前の一宮、吉備津神社は備中の一宮として現在に至っています。
一方だけを参拝するのは「かた参り」として、両宮を参拝する習わしがあったともいわれています。なお、備後の一宮は福山市の吉備津神社です。』と紹介があり、両社への参拝を勧めているようです。
2005年参拝して、撮影したのですが、有名だという「吉備津造り」という社殿全体を撮影で来ていませんが、参拝しましたのでこの頁を編集しました。
05.09.16裕・編集

05.07.22撮影
岡山市一宮1043

05.07.22撮影
安政の大石燈籠
  この大灯籠は、高さ11m、笠石は八畳敷の広さがあるまさに日本一といわれている。
文政13(1830)年と安政4(1857)年の二度にわたり地元の有志が発起し、天下奉平、国家安全、万民豊楽、五穀成就などを祈願して備前一円浅口郡を中心に広い地域で寄進を募り奉納されたものである。石に彫られた寄付者名は1670余名におよび、5676両(約1億3000余円相当;※換算基準がはっきりしていませんが)の浄財が寄せられている、ちなみに完成した年は江戸幕府が米国ハリスと日米修好通商条約を結んだ(※1858年7月29日)年に当たっている
平成11(1999)年12月建立郷土史家黒住秀雄顕彰会

05.07.22撮影
社殿

05.07.22撮影

05.07.22撮影

05.07.22撮影

05.07.22撮影
保存樹 スギ 指定番号35号 岡山市 境内案内図

05.07.22撮影
神池と中島で構成された三島式庭園の一部



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