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岡山県総社市上林1046に過って建てられていたという「備中國分寺跡」でについて取り上げました。
※創建当初の国分寺跡は現在の日照山国分寺境内と重複している部分があります。 |
国指定史跡 備中国分寺跡所在地総社市上林 指定昭和42年2月15日
国分寺は国分尼寺とともに鎮護国家を祈るため、天平13(741)年に聖武天皇の勅願によって建てられた官寺です。
備中国分寺の寺域は東西≒160m南北≒180mで周囲には幅1.2〜1.3mの築地土塀がめぐらされており、寺域内には南門、中門、金堂、講堂、塔などの伽藍が配置されていました。
昭和46(1971)年に岡山県教育委員会が実施した発掘調査によって、南門跡、中門跡、建物跡、築地土塀などが確認されていますが、金堂跡や講堂跡は現在も寺の境内地のうちに含まれており、その位置や規模などは明らかではありません。備中国分寺は中世には廃寺となり、その後江戸中期に至って日照山国分寺として再興されました。現存する伽藍はすべて再興後に建てられたものです。
昭和61(1986)年8月 文部省 岡山県教育委員会 |
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05.09.08裕編集 |
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備中国分寺伽藍配置略図 |
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土蔵 |
長屋 |
裏書院 |
庫裡 |
表書院 |
客殿 |
聖天堂 |
本堂 |
大玄関 |
西門 |
勅使門 |
太師堂 |
鐘楼 |
経蔵 |
山門 |
回廊跡 |
中門跡 |
建物跡 |
井戸跡 |
南門跡 |
築地土塀跡 |
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南門跡
備中国分寺の正門にあたるこの門は3個の礎石が現存しています。
そのほかの礎石は抜き取られていますが、礎石の下に詰めていた根石が残っており、門の規模は間口五間、奥行二間であったことがわかります。
門の両脇には寺域の南限を画する築地土塀が東西方向へまっすぐ取りついていました。 |
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05.07.22撮影 |
向こうに3個の丸い石が現存の南門の礎石 (手前は単なる切り株か・・) |
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05.07.22撮影 |
築地土塀(ついじどべい)
創建当時の備中国分寺では、寺域の周囲に幅1.2〜1.3mの築地土塀が築かれていました。
築地土塀をめぐる範囲は東西≒160m、南北≒180mで南辺中央に南門が建てられていました。 |
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