吉備津神社

祭神 大吉備津彦命
相殿 御友別命 (みともわけのみ)
仲彦命 (なかつひこのみこと)
千々速比売命 (ちちはやひめのみこと)
倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
日子刺肩別命 (ひこさすかたわけのみこと)
倭迹々日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと)
彦寤間命 (ひこさめまのみこと)
若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)
吉備津神社は、社名のとおり吉備津彦命を祭神とし、古くから備前国の一宮として崇敬を集めてきた。
十六世紀後半に、金川城主松田氏に迫害され、社殿は焼き払われたが、元禄十(1697)年に再建された。しかし、昭和五(1930)年本殿、随神門、宝物殿を残して焼失、現在の拝殿等は昭和十一(1936)年に建てられたものである。
「本殿」は、桁行三間・梁間二間、屋根は流造り、桧皮葺の流麗な建築である。元禄時代(江戸前期:1688〜1703)の建立で、県指定重要文化財となっている。旧官幣中社、現:別表神社。
記紀によれば、(第十代)崇神朝四道将軍の随一としてこの地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き今日の吉備文化の基礎を造られた大吉備津彦大神(五十狭芹彦命イサセリヒコミコト)を祀る山陽道屈指の大社、仁徳期創建で延喜式では名神大社また最高位を与えられ一品吉備津宮とも称される。古来、吉備国(備前・備中・備後・実作)開拓の大祖神として尊崇され、殖産興業交通安全の守護神延命長寿の霊験あらたかな神として朝野の信仰があつい。
吾國唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造」(比翼入母屋造)の雄壮な社殿、鳴釜の神事、桃太郎伝説のモデルなどで著名。
国宝:本殿・拝殿、 重文:御釜殿・南北随神門、 県重文:廻廊・木彫狛犬
 
*資料は神社設置の説明板などを参考にしました。 05.09.15裕・編集
岡山市吉備津931

05.07.22撮影

05.07.22撮影
官幣中社吉備津神社 手水舎と矢置岩を駐車場より

05.07.22撮影
矢置岩の由来
社伝によれば、当社の西北8kmの新山に温羅(うら)という鬼神あり、凶暴にして庶民を苦しむ、大吉備津彦命は「吉備の中」に陣取り鬼神と互に弓矢を射るに両方の矢、空中に衝突して落つ、そこに矢喰宮(旧・高松町高塚に現存)あり、また中山主神は鬼神の矢を空中に奪取す、当社本殿の中に祀る矢取明神はすなわちそれなり、この戦いのとき大吉備津彦命その矢をこの岩の上に置き給いしにより矢置岩と呼ぶと。
旧記によれば中古より箭祭(やまつり)の神事あり、願主は櫻羽矢または白羽の矢を献る。神官その矢を岩上に立てて交通の安全を祈る。のちその矢を御藏矢(みくらや)神社に納むる例なりきと、この神事いつしか中絶せしが、昭和35(1960)年岡山県弓道連盟の奉仕により復活され毎年正月三日ここに矢立(やだて)の神事を斎行すろこととなれり。

05.07.22撮影
北随神門をみる

05.07.22撮影

05.07.22撮影
拝殿から本殿をみる

05.07.22撮影
御祈祷殿



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