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岡山市(北区)吉備津に鎮座している「吉備津神社」です。 |
祭神: |
大吉備津彦命 |
相殿: |
御友別命 (みともわけのみ)
仲彦命 (なかつひこのみこと)
千々速比売命 (ちちはやひめのみこと)
倭迹々日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと)
日子刺肩別命 (ひこさすかたわけのみこと)
倭迹々日稚屋媛命 (やまとととひわかやひめのみこと)
彦寤間命 (ひこさめまのみこと)
若日子建吉備津日子命 (わかひこたけきびつひこのみこと) |
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吉備津神社は、備前国と備中国の境の吉備中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座しています。
吉備中山は古来神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座しています。
当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀。
本来は吉備国の総鎮守でしたが、吉備国の三国への分割で備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったそうです。この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る。
足利義満(1358-1408)造営とされる本殿は全国唯一の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財に指定されています。
旧官幣中社、現:別表神社。 |
※1)岡山県神社庁の資料では『一品吉備津宮、また三備(備前、備中、備後)の一の宮と称せられている。』とあります。 |
記紀によれば、(第十代)崇神朝四道将軍の随一としてこの地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き今日の吉備文化の基礎を造られた大吉備津彦大神(五十狭芹彦命イサセリヒコミコト)を祀る山陽道屈指の大社。
仁徳期創建で延喜式では名神大社また最高位を与えられ一品吉備津宮とも称されます。
古来、吉備国(備前・備中・備後・実作)開拓の大祖神として尊崇され、殖産興業交通安全の守護神延命長寿の霊験あらたかな神として朝野の信仰があつい。
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吾國唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造」(比翼入母屋造)の雄壮な社殿、鳴釜の神事、桃太郎伝説のモデルなどで著名。
国宝:本殿・拝殿、
重文:御釜殿・南北随神門、
県重文:廻廊・木彫狛犬
*撮影できなかったので案内板の絵図を切り取りました⇒ |
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吉備津神社と吉備津彦神社の違いについて、吉備津彦神社のweb siteで次のように述べています |
『古くは二社とも「大社 吉備津宮」と云われていたようです。
645年大化の改新以後、吉備国が備前、備中、備後の国に分けられて以来、吉備津彦神社は備前の一宮、吉備津神社は備中の一宮として現在に至っています。
一方だけを参拝するのは「かた参り」として、両宮を参拝する習わしがあったともいわれています。なお、備後の一宮は福山市の吉備津神社です。』と紹介があり、両社への参拝を勧めているようです。 |
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2005年参拝して、撮影したのですが、有名だという「吉備津造り」という社殿全体を撮影で来ていませんが、参拝しましたのでこの頁を編集しました。 |
2023年3月1日K氏より吉備津神社の説明文が、備前の吉備津彦神社と混同していると指摘していただきましたので、訂正しました。 |
23.03.01.更新 05.09.15裕・編集 |