きゅう やまてそん やくば
山手村役場

  岡山県総社市上林に移築されている「(旧)山手村役場」(の建物)です。
この建物は風早雲嶂(うんしゅう)(1846〜1896、医師・初代山手村長)という人が自宅として建てたものです。
以前は今の山手村役場附近の都窪(つくぼ)郡山手村大字地頭片山にありました。
建築様式・手法からみて幕末から明治初期のもののようです。
雲嶂の死後は山手村が購入し、明治35(1902)年から昭和43(1968)年までの六十六年間山手村役場として使用されました。
         <構造・形式>
身舎(もや) 正面14.89m 奥行10.127m 
一重(ひとえ)寄棟造・瓦棟(いらかむね)付茅葺
附属屋 正面5.202m 奥行3.202m  切妻造・本瓦葺
中門(ちゅうもん) 門扉両開・切妻造本瓦葺(袖塀付き)
移設時期 昭和47(1972)年
※玄関先に設けた板敷で客を送迎する場所。
総社市
戦国時代頃になってから、總社を總社宮とか總社大明神と呼ぶようになり、社の總社が地名として呼ばれるようになって、八田部村の枝村として總社村となった。
以後明治8(1875)年6月29日八田部村、清水村、井手市場、井手村、金井村が合併して總社村となる。
つづいて明治29(1896)年2月26日總社町となり、
昭和28(1953)年に施行された町村合併促進法により昭和29(1954)年3月31日近郷の村々と合併して総社市。
また平成17(2005)年3月22日都窪郡山手村、清音村も合併した。
山手村
1889(明治22)年市制町村制により、窪屋郡西郡村+地頭片山村+岡谷村+宿村=山手村となる。
2005(平成17)年3月22日 総社市+都窪郡清音村+山手村=(新たな)総社市。
2005年見学しましたので、この頁を編集しました。
05.09.11裕・記編集

05.07.22撮影
岡山県総社市上林1252  (現在:県立吉備路郷土館の前に移設されています)
平面図 (説明板の図面を拡大しました)

05.07.22撮影

05.07.22撮影
土間には(役場になる前は)住宅だったからでしょうか、竈がありました



「建物」編


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