とみおかはちまんぐう
富岡八幡宮
江東区富岡1-20-3
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東京都江東区富岡に鎮座し、旧府社で深川八幡宮とも称す。祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと)に天照大神(あまてらすおおみかみ)ほか三柱を配祀する。天平宝字年間(757〜765)の創建と伝えるが、『江戸名所図会』には源三位頼政(げんざんみよりまさ)が尊崇した神像を千葉・足利両氏が伝え、のち太田道灌の守護神になるという。1627(寛永4)年に永代(えいたい)島に再建、江戸下町の繁盛につれてとくに深川木場の尊崇を集める。
恵比須神は、富岡八幡宮境内の西側にある恵比須宮に奉祀されている。
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ふゆきべんてんどう
冬木弁天堂
江東区冬木22-31 |
弁財天がお祀りされています。
冬木弁天堂は、木場の材木商だった冬木弥平次が宝永2(1705)年、中央区茅場町から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置した。そのため今でもここを冬木町という。その弁財天は、等身大の裸形弁天なので、毎年1回衣装の着替行事を行ってきたが、大正12年の関東大震災で焼失。
明治3年から一般に参詣を開放し、現在の弁天堂は、昭和28年に再建された。冬木弁天堂は、古義真言宗に属している。 |
しんぎょうじ
心行寺
江東区深川2-16-7 |
元和2(1616)年京橋八丁堀寺町に創立された浄土宗の寺で開山は観智国師の高弟である屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室・養源院殿であり、寛永10(1633)年現在地深川寺町に移った。
関東大震災と戦災により二度も焼失したが、現在の本堂は昭和42年に再建さた。昭和50年に福禄寿が安置されている六角堂が完成した。
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えんじゅいん
円珠院
江東区平野1-13-6 |
円珠院は、享保のころ旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立した後、円珠院殿妙献日寄大姉の法名で、享保15(1730)年末にこの寺に葬られた。
享保5(1720)年11月13日に画かれた大黒天の掛軸があり、木造の大黒天が安置、境内に石造の破損大黒天が安置されている。江戸時代から、深川の大黒天として有名。
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りゅうこういん
龍光院
江東区三好2-7-5
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慶長16(1611)年に馬喰町に創立され、明暦3(1657)年大火で焼失、天和2(1682)年岩井町から深川の地に移転した。
移転した時鬼門除けとして東北角に毘沙門天が安置され昭和11年に毘沙門堂が建立され、戦災で焼失したが昭和50年復興したそうです。 |
深川稲荷神社
江東区清澄2-12-12 |
寛永7(1630)年の創立、深川地区では、創立の古い神社。祭神は、宇賀魂命、西大稲荷ともいう。
この付近の旧町名は、深川西大工町で、昭和7年8月1日深川清澄町と改称し、その旧名から西大稲荷と称した。
この神社の裏の小名木川は、江戸時代初期から、船の往来がはげしく、この付近一帯に、船大工が住み、船の修理、造船をしていたので、この町名が生まれたといわれている。この神社は、無住社にして、町会によって管理運営されている。布袋尊が奉られている。
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ふかがわじんみょうぐう
深川神明宮
江東区森下1-3-17 |
深川において創立の最も古い神社。大阪摂津の深川八朗右衛門が、この付近に、深川村を開拓し、その鎮守の宮として、慶長元(1596)年伊勢皇大神宮の御分霊を祀って創建した。
徳川家康が、この村に来て、村名を尋ねたがらないので、深川八朗右衛門の姓をとって、深川村と命名せよといわれた由以来深川村が発展し、深川地区の各町に冠せられ、深川の地名のもとになった。
寿老神は境内の寿老神社に安置されている。
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参考資料 |
深川七福神会発行の小冊子 |
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小学館版『日本大百科全書』ポケット版 他 |
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