ふゆきべんてんどう
冬木弁天堂

  宝珠山弁天堂は、弁財天がお祀りされています。
冬木弁天堂は、木場の材木商だった冬木弥平次が宝永2(1705)年、中央区茅場町から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置した。そのため今でもここを冬木町というそうです。
その弁財天は、等身大の裸形弁天なので、毎年1回衣装の着替行事を行ってきたが、大正12(1923)年の関東大震災で焼失。明治3(1870)年から一般に参詣を開放し、現在の弁天堂は、昭和28(1953)年に再建されました。冬木弁天堂は、古義真言宗に属しています。
東京都江東区冬木22-3
03.01.22裕・編集
こぎしんごんしゅう
古義真言宗
真言宗の一派。覚鑁(かくばん)が加持身説を説いて根来寺に分立した新義真言宗に対して、従来の教理・本地身説を説くもの。
高野山を中心とし、古義八派といわれたが、現在は各派に分裂。古義派。古義。
しんぎしんごんしゅう
新義真言宗
空海を高祖とし、覚鑁を宗祖とする真言宗の一系統。
本地身説法を説く高野山の教学(古義)に対し、加持身説法などの新義を唱えたもの。覚鑁が開いた大伝法院根来寺を中心としていたが、のちに智山(京都智積院)・豊山(大和長谷寺)二派が分派成立。新義派。
べんざいてん
弁財(才)天
仏教における智慧、弁舌、技芸の女神。略して弁天。また妙音天、美音天、大弁才功徳天ともいう。
もとはヒンドゥー教の神。サラスバティーは「水を有するもの」を意味する女性名詞で、アーリア人が東漸するとき、各地の川をよんだ名であり、アフガニスタンのカンダハル地方の古名アラコシアもそれに由来するとされ、インダス平原やガンジス平原にもこの名の川があった。ブラーフマナ文献ではことばの神とされ、ウパニシャッドでは音楽神とされた。
ヒンドゥー教のこれらの概念を受けて仏教に弁才天を登場させたのが『金光明最勝王経
(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』で、弁才天はこの経を説く人や聞く人に知恵や長寿や財産を授けると述べている。

03.01.15撮影

03.01.15撮影

03.01.15撮影
内部の撮影は禁止と言うことでしたが、広島から正月にわざわざ来たのだからと、
和尚
(という表現が正しいかはわかりません)が横を向いている時に勝手に撮ったと言うことにしていただき撮影しました。
くうかい
空海
(774-835)
平安初期の僧。日本の真言宗の開祖。諡号(しごう)、弘法大師。讃岐の人。
804年最澄らとともに入唐し、長安の青竜寺恵果
(けいか)に学ぶ。806年帰朝して高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)を開く。嵯峨天皇より東寺(教王護国寺)を賜り、その翌年には大僧都に任ぜられた。
日本最初の庶民学校である綜芸種智院
(しゆげいしゆちいん)を設立。書にすぐれ三筆の一人にあげられ、「風信帖」などの名品がある。また、詩文にも秀でた。後世、広く庶民信仰の対象として尊ばれた。
著「三教指帰
(さんごうしいき)」「十住心論」「弁顕密二教論」「性霊(しようりよう)集」「文鏡秘府論」「篆隷(てんれい)万象名義」ほか。
かくばん
覚鑁
(1095-1143) 平安末期の真言宗の僧。諡号(しごう)、興教大師。肥前の人。
新義真言宗の祖。仁和寺で密教を学ぶ。高野山に大伝法院を建立し、金剛峰寺の座主を兼ねたが、反対にあい紀州根来に移り、円明寺を建立。その事相の門流は伝法院流という。著「五輪九字明秘密釈」など。
じそう
事相
密教で、灌頂・修法など実践的な方面のこと。
かんじょう
灌頂
密教の儀式。伝法・授戒・結縁などのとき、香水(こうずい)を受者の頭に注ぐこと。
こうずい
香水
〔仏〕 諸種の香を入れて作った、仏前に供える水。身体に注ぎかけたり、仏具・道場をきよめたりするのに用いる。閼伽。
あか
閼伽
原義は「価値あるもの」の意。功徳水(くどくすい)と訳す。神仏に供えるもの。
一般には、仏に供える水。また、その水を入れる器。 「閼伽桶
(おけ)」
さいちょう
最澄
(767-822)
日本天台宗の開祖。姓は三津首(みつのおびと)。近江の人。
比叡山に入り法華一乗思想に傾倒し、根本中堂を創建。
804年入唐、翌年帰国し、天台宗を開創。「山家学生式
(さんげがくしようしき)」をつくって大乗戒壇設立を請願したが、南都の反対にあい、死後七日目に勅許がおりた。日本最初の大師号伝教大師を勅諡(ちよくし)される。
書状「久隔帖
(きゆうかくじよう)」は名筆として知られる。著「顕戒論」「守護国界章」など。叡山大師。山家大師。根本大師。



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