とみおかはちまんぐう
富岡八幡宮

  東京都江東区富岡に鎮座し、旧府社で深川八幡宮とも称し、現在は別表神社。
祭神は誉田別命に天照大神など八柱を配祀しています。
天平宝字年間(757〜765)の創建と伝えるが、『江戸名所図会』には源三位頼政
(げんざんみよりまさ)が尊崇した神像を千葉・足利両氏が伝えのち太田道灌の守護神になるという。1627(寛永4)年に永代(えいたい)島に再建、江戸下町の繁盛につれてとくに深川木場の尊崇を集める。
恵比須神は、富岡八幡宮境内の西側にある恵比須宮に奉祀されている。
東京都江東区富岡1-20-3
 04.07.23再編集  03.01.22裕編集

03.01.15撮影

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参道 富岡八幡宮 富岡八幡宮 深川力持の碑

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恵比須宮 恵比須宮 恵比須 伊能忠敬
ほむだわけのみこと
誉田別命
記紀の所伝の第十五代天皇の漢風諡号(しごう)は応神天皇。仲哀天皇の皇子。母は神功皇后。
この時期、朝鮮・中国から渡来して技術を移入する者が多く、大和朝廷の勢力が大いに発展した。
「宋書」の倭王讃をこの天皇にあてる説がある。
あまてらすおおみかみ
天照大神

大日尊
(おおひるめのみこと)
大日貴
(おおひるめのむち)
記紀神話の神。女神。神体は八咫鏡(やたのかがみ)
皇室の祖神。伊勢の皇大神宮(内宮)に主神としてまつられる。
天空を照らす偉大なる神という意から、太陽神ともされている。この神は、伊弉諾尊が筑紫のアワギ原で禊祓(みそぎはらい)をしたとき、その左目から生まれた。伊弉諾・伊弉冉二神の子という。
えびすじん
恵比須神

(夷、蛭子)
生業を守護し福利をもたらす神として、わが国の民間信仰のなかで広く受け入れられている神霊。
語源はさだかではないが、夷、つまり異郷人に由来すると考えられ、来訪神、漂着神的性格が濃厚に観念されている。現在一般にえびすの神体と考えられている烏帽子をかぶりタイと釣り竿を担いだ神像によってもうかがえるように、元来は漁民の間で、より広範に信仰されていたものが、しだいに商人や農民の間にも受容されたと考えられる。
いのうただたか
伊能忠敬
1745〜1818
江戸中期の測量家。通称勘解由(かげゆ)。号東河。
上総国山辺郡小関村(千葉県九十九里町)に生まれる。母の死後、父の実家であった武射郡小堤の神保家に移り、18歳で下総国佐原の伊能家へ婿養子に入る。
酒造業を再興し、米の仲買いなどで産を築き、名主や村方後見として郷土のために尽くした。若いときから学問を好み、数学、地理、天文書に親しみ、1795(寛政7)年50歳の時隠居して江戸の深川黒江町(現・門前仲町)に居を構え、 幕府天文方高橋至時(当時32歳)に師事し天文学を学んだ。当時、緯度一度の里程数が定まっておらず、忠敬は長い南北距離の測量を企て、蝦夷地南東沿岸の測量を出願して官許を得た。1800(寛政12)年期待したとおりの成果を収めたが、その後全国の測量へと発展し、1816(文化13)年に終了するまでに、10次にわたり、延べ旅行日数3736日、陸上測量距離43,708km、方位測定回数15万回という大事業となった。細心な注意と測定点を十分に多く設ける厳密性を図った、根気と努力の勝利といえよう。忠敬の得た子午線1度の長さは28里2分(110.
75km)で、現代の測定値と約1000分の1の誤差しかない。
伊能忠敬は第8回測量までの出発に当たっては、必ず江戸深川の富岡八幡に参詣して測量に旅立ったそうです。



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