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東京都台東区千束3-20-2に鎮座している「吉原神社」です。 |
祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)です。
また弁財天をお祀りしています。
吉原神社の歴史は新吉原遊郭と重なり、廓の鎮守の神として古くから崇敬されてきました。
元和3(1617)年、徳川幕府の命によって、江戸市中各地に散在していた遊女屋は日本橋葦町あたりに廓として統合されました。これが「江戸元吉原」。
その後、明暦3(1655)年の大火のあと千束村に移転を命ぜられ、そこに新しく造られたのが「新吉原」です。
新吉原遊郭には古くから鎮座の玄徳(よしとく)稲荷社、それに廓内四隅の守護神である榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社が祀られていました。この五社が明治5(1872)年に合祀され「吉原神社」として創建されました。
五社のなかでも 九朗助稲荷社の創建は古く、和同4(711)年、白狐黒狐が天下るのを見た千葉九朗助という人の手で元吉原の地に勧請されたのがはじまりとされています。
そして廓の千束村への移転にともなって浅草新吉原の地に勧請されました。 |
2003年浅草名所七福神巡りで参拝はしましたが、社殿の画像がないままですが、この頁を編集しました。 |
03.01.22裕・編集 |
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03.01.16撮影 |
社の写真も撮ったのですが映っていなくて由緒記しか画像としてはありません |
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千束稲荷神社 |
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東京都台東区竜泉2-19-3に鎮座している「千束稲荷神社」です。 |
祭神、倉稲魂命。
寛文年間(1661-1673)創設で、浅草一円を千束郷と称しその千束郷に上下二社の稲荷社がつくられ、千束稲荷神社はその下社で北千束郷の氏神でした。
明治5(1872)年太政官令により龍泉寺村の村社(氏神)となりました。 |
吉原神社は無人でこちらで朱印などが授かれるということで伺い、参拝しました。
この神社が兼務しているとの事でベルを押すと神官の奥様?と若奥様?が出てき筆書き、朱印捺ししていただきましたが事務的でなくチョットした会話があり、深川七福神の色紙を見せたりもしました。
遠回りして頭に来ていました(修行が足りません)がホッとした気持ちで石浜神社へ向いました。 |
03.01.22裕・記編集 |
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03.01.16撮影 |