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東京都江東区富岡の富岡八幡宮境内に安置し展示されている「力石」を取り上げました。 |
江戸時代、永代・佐賀・福住・深川・清澄の各町に、江戸市民の食糧物資をいれておく倉庫が建ち並び。そこに働く人たちが、米俵などを手玉にとって、力自慢をするようになり、文化文政(1804〜1830)頃には、興行をおこなって、曲技を公開するようになりました。
その曲技を深川の力持ちと云っていたそうで、現在にも受け継がれているそうです
。力自慢をする人を力士といい、さしあげた石に重量、氏名などを彫って、社寺に奉納したものを力石といい、社寺に、数多く保存されています。
毎年10月、江東区文化祭に参加、その曲技を一般に披露しているそうですが、わたしは見たことはありません。 |
富岡八幡宮を参拝した時境内で目にした力石を撮影していましたので、この頁を編集しました。 |
03.01.22裕・編集 |
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関連頁:(広島県廿日市市)極楽寺の力石 |
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03.01.15撮影 |
東京都江東区富岡1-20-3 富岡八幡宮境内 |
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03.01.15撮影 |
中村弥兵衛 五拾五貫目(≒206kg)の力石が奉納されていました。 |
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03.01.15撮影 |
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(ちからいし)
力石: |
日本では鍛錬と娯楽として、江戸時代から明治時代まで力石を用いた力試しが盛んに行われた。
磐持石 ; 盤持石 ; 晩持石(ばんもちいし)、力試し石(ちからだめしいし)など地方によって様々に呼ばれました。
また、伝説的な人物が投げたといい伝えられる力石も各地にあるそうです。 |
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