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この頁では、HERSHEY'Sの「KISSES MILK CHOCOLATE」を取り上げました。 |
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The Hershey Company(ザ・ハーシー・カンパニー) (株式会社鈴商の資料を参照しました) |
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以前は、ハーシー・フーズ・コーポレーションと呼ばれていました。
菓子・食品メーカーの1つで、今日では高品質なチョコレート及びスナック菓子を製造する北米最大のチョコレートメーカーとなっています。
始まりは1894年に設立されたランカスターキャラメルカンパニーの小さな子会社からでした。 |
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米国ペンシルバニア州の田舎街に生まれたミルトンハーシー(1857-1945)は、恵まれた教育環境のもとで育てられた訳でなく、かつ、青年期には幾つかの事業を手がけたものの成就するものではありませんでした。
しかし、The Hershey Company の設立によりアメリカで最も裕福な人の一人となるまでになり、後半生は、世界中に知られる製品を作り出す実業家として名をなしたのです。
自然と培われた博愛主義精神の下、従業員の為に住居、公園、病院、劇場等を建設、また交通網も整備するなど町づくりを推進。 更に、ハーシー基金を設立し学校を創設、若手人材育成に注力するなど、その地域への彼の貢献は甚大なもので、ハーシータウンとして今なお市民の生活に役立っています。
当時の主力商品はキャラメルで、チョコレートは原料の一部に過ぎませんでした。
博覧会に展示出展されていたチョコレート製造機を購入し、親会社のキャラメルをコートするチョコレートを製造していました。しかし様々な試行錯誤の後に、わずか10年余りの間に本格的なチョコレート会社として成長していき、1907年にはあの象徴的なKISSESチョコレートの製造を開始し、成功への軌道に乗りはじめます。現在のThe
Hershey Company は総収益40億ドル超、1万3000人の従業員を抱える一大企業となりました。
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子どもの頃だからもう半世紀も前になります『父方の親戚が移民で米国にいて時々米国のチョコレートやキャンディーを送ってきてくれていてそれを食べて日本の味とは違う異国の香りを感じたことを懐かしく思い出します。』
名前なんて覚えてはいませんでしたが銀紙にくるまれた形は忘れてはいませんでした。
画像のものは、近くのスーパーで買ったものです。
当時食べたものは当然日本語表示はなかった事はいうまでもない事ですが、当時の記憶の味とは甘さが違っているように感じました。
流行語大賞の発表の季節のようでTV見ていると10年ほど前に「同情するならカネをくれ」なるものがあった事を聞いて流行ったな〜と、昔々流行語大賞があったら進駐軍と「ギブミーチョコレート」なる言葉が大賞だったかも?なんてことを思った次第なのです。 |
ハーシー・フーズは1894(明治27)年創業で米国食品大手としてペンシルベニア州のハーシータウンに本社があるそうです。
1907(明治40)年に発売されたキスチョコをはじめ、米国チョコレート菓子のシェア43%だそうで『ひと口サイズのミルクチョコは世界中のファンから愛され続けています。』と自画自賛なのです。
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04.12.03裕・記編集 |