秦の始皇帝陵

  中国陝西省西安北東の驪山北側に造られている「秦始皇帝の陵」です。
秦の始皇帝(前259-前210)は、即位(紀元前221年)と同時に70万人の囚人を動員38年かけ自らの陵墓を造ったといわれています。地下に宝石をちりばめた宮殿があり、盗掘を防ぐ為、水銀の河などのさまざまな仕掛けがされていると云われているそうです。後に項羽(前232-前202)に破壊され財宝は掠奪されてしまったとも云われているそうですが、現地ガイドの馮(ヒョウ)さんの話では盗掘されてないと云っていました。
2003年に中國新聞を見ていたら始皇帝陵の記事が載っていましたので追記しました。
兵馬俑に行く途中マイクロバスを止めてあれが秦の始皇帝陵ですよと遠くからみました。11月に黄砂ということもなかろうにと思いましたが霞んで見えました。
03.11.30更新    01.11.14裕・記編集

01.11.06撮影
東西345m南北350m高さ76mだそうです遠くからマイクロバスとめて写真撮りました。
2003年11月29日(土)報道によると 墳丘(四角錐)ということで図がありましたので(わたしが)作図しました
陝西省西安市の秦の始皇帝陵を同省文物考古学研究所と中国地質調査局が、電気探査等のハイテク技術で調査した結果、墳丘の地下≒30mの地点に巨大な「地下宮殿」や墓室が存在することを28日までに確認したそうです。
地下宮殿の存在はこれまでのボーリング調査等で予想されていましたが具体的な規模や構造が判明したのははじめてのことでした。
始皇帝陵の発掘には巨額の費用がかかる上に保存技術が不充分な現在実現の見通しは立っていないので、今回の調査は保護計画を立てる為であったということだそうです。
陝西省文物考古学研究所等の調査では、地下宮殿は東西170m、南北145m、高さ16m。
中央に墓室東西80m、南北≒50m、高さ15m。
また、地下宮殿には大量の水銀が流し込まれてていたことも判明、司馬遷(前漢の歴史家:前145?-?)の史記に始皇帝陵について「水銀の川や海がある」との記述を裏付ける調査だったそうです。
秦(紀元前221〜紀元前206)時代頃の墓室は木で造られていてこれまで見つかった石室は前漢時代(紀元前202〜紀元8)の後期以降であったので、調査のように始皇帝の墓室が石灰岩なら中国最古となるのではないだろうかと云われています。
(ふんきゅう)
墳丘:
墓の上に土・石などを積んで築いた丘状・台状の高い塚。
(ぼしつ)
墓室:
墳墓で、棺を納める部屋。
(ふんきゅうぼ)
墳丘墓:
日本では弥生時代(紀元前5世紀頃〜紀元後3世紀頃の≒800年間)に盛土によって墓域を画した墓制。
方形・円形・長方形・前方後円形・双方中円形・双方中方形・四隅突出形の各種の墳丘があり、甕棺(かめかん)・木槨(もつかく)・竪穴式石室の複数葬の埋葬施設がある。西日本に分布し地域差が大きく、古墳のような統一性はみられない。



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