(きっかわひろいえ)
吉川広家:
(1561-1626) |
安土桃山時代・江戸前期の武将。元春の三男。蔵人、民部少輔。幼時から豪胆であった。
1583(天正11)年豊臣秀吉の人質として上京、1587年兄元長の死により家を継ぐ。
1591年伯耆、出雲、隠岐、石見、安芸の諸国に14万石を領して出雲富田城に居城した。
文禄・慶長の役に両役とも従軍。関ヶ原の戦いでは毛利輝元の大坂入城を諫止しようとしたが果たさず、西軍にありながらひそかに徳川氏に通じ、戦後家康が広家に厚く報いようとしたのに対して、毛利氏領国保全のために奔走し、自身はそのうち岩国三万石(後の検地で六万石)に甘んじた。
1617(元和3)年領国統治の法度187条を定め、同年家を子の広正に譲った。 |