アメ横(アメヤ横丁)

  東京都台東区のJR御徒町駅からJR上野駅間の商店街「アメヤ横丁」を取り上げました。
アメ横、JR上野駅からJR御徒町駅にかけて線路脇に伸びる商店街です。
敗戦後にでき、当時飴屋(あめや)が多かったのでその名が付いたそうです。通称、アメ横と云われています。
正式名称は、アメ横商店街連合会で、アメヤ横丁のほか、アメ横、上野アメ横、アメ横商店街などと通称されるそうですが、商店街の看板にも「アメ横」と表示されています。
規模は、およそ400mで、(2010年現在)400軒以上の店舗で構成されているそうです。
アメヤ横丁の名の由来は、
敗戦後、米軍(アメリカ軍)の払下げ物資を安く売りたたく旧・満州引揚者らの店が多数集まったことから「アメ屋」(「アメリカ関連物資の屋店」)と呼ばれはじめたとする説。
米軍兵(アメリカ兵)が小遣い稼ぎに物資を持ち込んで店を開き、米軍の製品が大量に出回ったことから「アメ屋(「アメリカの屋店)」」と呼ばれ始めたとする説。
そして、飴を販売する店が多数出店したことから「飴屋」と呼ばれはじめたとする説があるそうです。
1972(昭和47)年から10年ほど東北に住んでいた事があるわたしは、当時正月や盆の休暇で、遠く実家に帰る事を止めて、東京に住んでいた長兄の家にお世話になったことが何度もあったのです。その時の行動を思い出せば、神田の古本屋、ここアメ横に行ってみたりとした事を思い出します。特に正月前の人並みに押されながらぶらり散歩した事も懐かしい思い出ではあります。
今(2010年)回、2002年ではありますが編集した頁を見直しているのです。いまでは正月前にTVニュースなどで見るアメ横になりましたが、その名前の由来は表面的に考えただけでした。
それは、アメ横を何度かぶらり散歩した時の印象で、米軍(アメリカ軍)関連の服とかの店がよく目についていたことから‘アメこう’という敗戦国民(ジャップと米国人に軽んじられた者としてのせめてもの抵抗の呼び方)からきた名称かと(わたしは勝手に)思っていたのです。今回調べて知った「飴屋」からきたものとするものは、反米感情のガス抜きの説かなと穿った見方をしたりしましたが。
10.04.20更新   02.05.13裕・記編集

02.03.28撮影
東京都台東区   JR御徒町駅〜JR上野駅間の商店街

02.03.28撮影

02.03.28撮影

02.03.28撮影



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