国立西洋美術館

  東京都台東区の上野恩賜公園に建てられている「国立西洋美術館」です。
※この頁では、前庭に展示されている“オーギュスト・ロダン作の彫刻類”を取り上げました。
2002(平成14)年東京に行ったついでに上野公園でも行ってみるかと軽い気持ちで立寄ったのです。上野公園には過去何度か足を運んだことがありましたが、わたしは「上野恩賜公園」が正式な呼び名ということを2002年に立寄り頁を編集するときにはじめて知ったのです。それから随分時過ぎた今(2009)年野外彫刻編の頁を見直ししているときに、恥ずかしいことに、ロダンの「考える人」が「地獄の門」の一部分を取りだして一つの作品とされたことを知ったのです。今になりましたが、再編集しようとしていますが(2002年)当時撮影した画像はPCを何度か壊したツケでしょう探せませんので昔のままの画像で今(2009年)回知った事を追記することにしました。
国立西洋美術館は、印象派など19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションを基として、1959(昭和34)年に設立されました。
松方幸次郎(川崎造船社長:1865-1950)は20世紀初めにフランスで多くの美術品を収集、コレクションは第2次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として差し押さえられ、松方コレクションが日本に返還される際の条件として、国立西洋美術館が建設されることになりました。
本館の設計はル・コルビュジエですが、弟子である前川国男(1905-1986)・坂倉準三(1904-1969)・吉阪隆正(1917-1980)が実施設計・監理に協力し完成しました。また新館は前川国男が設計。
なお、本館は1998(平成10)年に旧建設省による「公共建築百選」(広島の通称原爆資料館もそうですが)に選定されています。
「野外彫刻など」編の再編集していた時にこの頁にも目がとまり、再編集しなくてはと思ったのです。まず「考える人」の頁として調べていると、恥ずかしいことにこの作品が未完成だった「地獄の門」の中にある彫刻の一つであることを知ったのです。
09.03.14更新    02.05.13裕・記編集

02.03.28撮影
東京都台東区 上野(恩賜)公園7-7
ロダン
Francois-Auguste
-Rene Rodin
1840‐1917
フランスの彫刻家。下級官吏(警視庁書記)の子としてパリ生まれ。
極度の近視で、学業成績も思わしくなかった(そうです)。帝国素描・算数専門学校。
陰影のあるやわらかな人体表現で独自の様式を確立し、近代彫刻の基礎を築く。群像や肖像彫刻にすぐれ、普遍的人間像を生み出した。作品は代表作「バルザック像」「考える人」「地獄の門」「接吻」「カレーの市民」など。

02.03.28撮影
カレーの市民 (Les Bourgeois de Calais)
この作品は1880年カレー市長により町の広場への設置が提案され、通常なら戦勝記念のモニュメントだけが建設されますが、フランスは普仏戦争の敗北で破壊的被害を受け、若者の犠牲を表彰することが切望されていました。しかしロダンのこの作品は市民を英雄的表現ではなく、むしろ陰気で疲れきった姿として描き出した物であったので論争を生んだそうです。

02.03.28撮影
考える人(Le Penseur:仏語)
このブロンズの巨像は、1902年から1904年にかけて、ロダンの協力者であったアンリ・ルボッセの手によって1880年の原型に基づいて拡大された。「地獄の門」から独立した「考える人」ということだそうです。
(作品の大きさ)
186cm x102cm x144 cm

02.03.28撮影
1880年、ロダンは新しく建設される予定のパリの装飾美術館のために入口の門扉の制作を政府から依頼されました。
ダンテの愛読者であり、既に1876年に『神曲』に取材した群像「ウゴリーノと息子たち」を制作していたので、この門扉を「『神曲』を表わした低浮彫の連作に造ろうとしました。構成の形式をフィレンツェ洗礼堂のギベルティの「天国の門」にならって、制作にとりかり、左右の扉がそれぞれ縦に四つのパネルに区切られ、全体で8面の浮彫によって「地獄篇」の情景が表現され、中央に巨像が置かれる構成でした。しかし、ダンテの神学的秩序は失われ、次第に渾沌たる世界に変わっていっいき、ボードレールの『悪の華』に表現された人間自身の「地獄」の世界に踏み入って行きました。石膏着彩の『「地獄の門」のマケット(第三構想)』は、粘土による立体的な習作の第三段階(最終的構想)を示しています。
ダンテに取材したモチーフは最早「パオロとフランチェスカ」と「ウゴリーノと息子たち」の2つに限られ、門の中央には「詩作にふけるダンテ」に代わり、「考える人」が置かれています。
以後、ロダンは終生この大作の制作に取り組み、彼の多くの独立した作品が『地獄の門』に関連して生み出されましたタンパンの中央に坐って墜ち行く人々を凝視する男は「考える人」で、門の頂に立つ三つの影は「アダム」と関連しています。夕ンパンの右端に立てるフォーネスと瞑想、左手にオルフェウスとマイナスたちのマイナスたち。右扉の下部にフギット・アモール、左扉中央にネレイスたち、左の付け柱に浮彫の美しかりオーミエール、その柱の上にうちひしがれたカリティード、右の付け柱の上部に私は美しいの浮彫があり、この二人の男女を離したものが考える人の左のうずくまる女と左扉の上部から身をのけぞらせる男です。
これらのモニュメントは、生前にブロンズに鋳造されることはありませんでした。1920年代になって漸く鋳造が実現し、最近の鋳造を含め現在世界に七つのブロンズが存在するようになったそうです。



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