仏国寺(案内図、大王門)

慶州 仏国寺境内史跡及び名勝 第1号
  仏国寺の創建説話によれば金大城が現生の親である金文亮のために創建したという。金大城が景徳王10(751)年に大きく改築して面貌を一新したが、恵恭王10(774)年に彼が死んだ後も工事を続けて完工したという。
その後、仏国寺は宣祖26(1593)年に文禄の役で幾つかの石造物だけを残して沢山の収蔵宝物と共に一遍に消尽した。
木造建物は孝(1659)10年にその一部が再建されたもので、1969年から1973年までの復元事業によって無説殿及び各回廊が新たに建てられた。創建当時の形をそのまま伝えるものは大部分の石造遺物だけで、東西両橋の下に広がっていた九品蓮池は見る影もなく消えてしまった。
現存する遺跡と景観だけでも新羅人の優れた芸術精神を窺うことができ、1995年石窟庵と共にユネスコ世界文化遺産目録に登録された。
資料は仏国寺に設置されていた日本語解説文より
案内図

04.04.14撮影

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(入場)門と案内板

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入場者チェック

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天王門

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四天王

04.04.14撮影

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四天王
  仏教を守護する四神。帝釈天(たいしやくてん)に仕え、須弥山(しゆみせん)の中腹にある四王天の主。東方の持国天・南方の増長(ぞうじよう)天・西方の広目天・北方の多聞(たもん)天をいう。像は須弥壇の四隅にそれぞれ配され、甲冑(かつちゆう)をつけ武器を持ち邪鬼を踏む形。護世四天王

04.04.14撮影

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邪鬼 邪鬼
邪鬼 じゃき

たたりをなす神。また、もののけ。妖怪。四天王像の足の下に踏まれている怪獣




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