(いいなおすけ)
井伊直弼:
(1815-1860) |
江戸末期の幕府の大老。彦根藩第13代藩主。日米修好通商条約を違勅調印し、安政の大獄の中心人物。
桜田門外で暗殺された。彦根藩に生まれる。1831(天保2)年藩から300俵の宛行扶持(あてがいぶち)をもらい、尾末町の北の御屋敷に移り、これを埋木舎と名づけ、1846(弘化3)年までの15年間、ここで生活した。ここで直弼は禅、兵学、茶道などの教養を積み、国学、歌道、古学などを学んだ。1850(嘉永3)年彦根藩を襲封。1854(安政元)年の日米和親条約で鎖国体制は崩れ始めた。開国政策を支持する譜代大名を牛耳っていた直弼は、攘夷主義をとった徳川斉昭(なりあき)以下、家門・外様大名と対立するに至った。外様大名一派が、一橋慶喜(よしのぶ)を担いだのに対し、直弼ら譜代大名の派は、徳川慶福(よしとみ)を推した。1858(安政5)年直弼は大老に就任、継嗣を慶福に決定し、日米修好通商条約に調印した。一橋派が一斉に井伊攻撃に立ち上がると、直弼は徹底してこれを弾圧し、安政の大獄を引き起こした。しかし直弼は1860(万延元)年桜田門外に横死した(=桜田門外の変)。 |