玉ひで親子丼を食す
  北海道から九州に至るまでメニューで困ったら親子丼としてきたようです、わたしは。
以前から親子丼の元祖という「玉ひでの親子丼」は一度は食べなくてはと思っていたのです。関西風の薄味で育った私は東北の塩が利いたしょっぱなものは苦手でしたし、東京の濃い目の味はどちらかと言うと苦手ではあるのです(昔々はじめて目にした東京のうどん汁の濃さにびっくりしたものです)東京下町の甘しょっぱい親子丼といわれる玉ひでの親子丼がどういうものか食してみなくてはと思っていたのは事実ですが、並んで食べる事にまたいつでも食べる機会があるだろうと思って今日に至っておりました。
東京都中央区日本橋人形町1-17-10
今(2003年1月)回並びました(≒45分くらい)、私の前に並んでいた青年が2人とも大盛りでしたので午後からの浅草名所七福神巡りで相当歩く予定でしたので私も大盛の食券を買いました、玄関で待たされている時にそこにあったとくさんの写真を撮影しました。1階 掘り炬燵座敷の4人席で3人連れの先客がいるところに案内され、そう時間を待つ事もなく親子丼の登場でした。少し柔らかく箸で食べずらく(スプーン状の)へらしゃもじを使って食べました、さすがに大盛なるものを最近食べていませんので量が多く感じました。もう少し味が薄ければ、鳥や卵の味がもっともっと楽しめるのではないかな・・・と思ったのは事実でしたが美味しかったと言っておきましょう、大盛を残さずに食べたのですから・・・もう並んで食する事もないでしょうから。
03.01.17裕・記編集

03.01.16撮影

03.01.16撮影

03.01.16撮影
玉ひでへ行く
(地下鉄浜町駅から≒500m歩いてきました)
既に60人くらいがならんでいました。 40人近くの人がまだならんでいま

03.01.16撮影

03.01.16撮影

明治24年頃5代目秀吉の妻とくにより考案されたという 元祖親子丼 大盛
(香の物、鳥スープ付)
おしながき      レシート(大盛900円)
おやこ‐どんぶり
親子丼
《とりあわせの鶏肉と鶏卵で親子の意》どんぶり飯の上に、味付けして煮た鶏肉とタマネギ・シイタケなどとを鶏卵でとじてのせたもの。明治の中ごろに始まったとされる。おやこどん。
(玉ひでによると)
明治の半ば、簡単に食することのできる、時代に即した食物として玉ひで五代目の妻・山田とくの創案。 
その頃、盛り切りの丼は汁かけめしとして軽んじられており、そのため出前としてのみ売出された。当時、繁忙を極めた兜町、米屋町旧魚河岸(日本橋)で時代の好みにうまく一致して、人々にもてはやされたそうです。
玉ひで 宝暦10(1760)年先祖山田鐵右衛門、御鷹匠の家に生まれ、27歳の折、将軍家に出仕する傍ら、妻「たま」と共に、「御鷹匠仕事」をもって家業を興し、現在の人形町3丁目に当たる地に屋号を「玉鐵」と称して、軍鶏専門の店を創業したという。
御鷹匠仕事 将軍家の御前にて鶴を切る厳議に由来する格式の高い包丁さばきで家伝の法は、放血せずに〆た鳥を、血を見せることなく直ちに骨と身に取り分け、肉に手をふれずに薄く切る練達の秘法。
東京軍鶏 「東京しゃも」は、日本の伝統的な鶏肉の味を最大限に生かした新しい鶏肉とのこと。
肉は他の鶏肉と比べると赤身が濃く良くしまっており、脂肪が少なく、調理によるクッキングロス(肉汁の損失)が少ないので「うまみ」「こく」が逃げず、じっくり育て上げた鶏で歯ごたえがあり、肉の塾度が増し「うまさ」に差が出るそうです。「東京しゃも」は東京都畜産試験場・東京都種鶏孵卵農業協同組合で「ひな」を都内農家に配布し、専門店との契約生産だそうです。
シャモ
軍鶏
《シャムロから》鶏の一品種。首が長く、くちばしが鋭い。足は太く、大きなけづめをもつ。闘鶏に用いられ、現在は肉用ともする。名は江戸初期にシャムから渡来したことにちなむ。シャムロ鶏(けい)。ぐんけい。
シャモ 鳥綱キジ目キジ科の鳥。
ニワトリの一品種。本種には大小2種あるが、普通シャモというのは大シャモのことで、江戸初期にシャム(タイの旧国名で、シャモの名の由来となっている)から渡来したマレー系の闘鶏。体形は上体がほとんど直立し、とさかは三枚冠またはくるみ冠である。1941年(昭和16)に天然記念物に指定された。
資料は:小学館版『日本大百科全書』ポケット版他



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