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この頁では、佐賀県唐津市で造られている「玄海漬」を取り上げました。 |
わたしは、鯨の軟骨を粕漬けにした松浦漬が好きでした。
佐賀県唐津は昔鯨を獲っていたという歴史から生まれた食べ物だったようですが、反捕鯨の高まりで日本の商業捕鯨が禁止になり、松浦漬もいつのまにか鯨の軟骨を漬けたものは高価なものとなり土産物としては一般的ではなくなり?売られ無くなったようです。
松浦漬はここでは紹介できませんでした。 |
同じような鯨の軟骨の粕漬け・玄海漬が現在(2002年)も売られていましたので、博多駅のお土産屋さんで買いました@600円(昔は@500円だったのですが)でした。 |
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玄海漬の缶には次のような記述があります。
『本製品は国際捕鯨取締条約に基づいて(財)日本鯨類研究所が実施した南氷洋ミンク鯨、及び北西太平洋ミンク鯨、ニタリ鯨、鯨捕獲調査の副産物です。』 |
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今(2005)年長崎に旅した時に長崎駅のお土産屋さんでみかけましたので家で食べようと買いました@1050円(税込価格)でした、値段が昔々の倍になっていました。それほど鯨の軟骨というか鯨の入手が困難になってきているのかなと思ったのです。 |
松浦漬:
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文禄(1592〜1595)年間、秀吉の時代に始まったといわれる呼子の捕鯨。中でも江戸から明治初期、小川島鯨組主・中尾家は隆盛を極め、クジラの食文化が定着したそうです。
松浦漬が生まれたのは明治初期。当時、捕鯨を担っていた「小川島捕鯨株式会社」に出資していた山下善市の妻・山下ツル(松浦漬総本舗初代社長)が、カブラ骨(あごの軟骨)を粕漬けにしたのが、起源だそうです。
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玄海漬: |
古来より玄海灘では、捕鯨が盛んに行われていました。明治中期その鯨の軟骨を調味粕に漬け込んだものを製品化し、それが“玄海漬”(鯨軟骨粕漬)の始まりで、100年の歴史の中で捕鯨をめぐる状況は大きく変化し唐津の銘産品としての味を守りつづけているそうです。
調味粕は、京都伏見灘の銘酒粕を使用、この玄海漬が主力商品で他に海産物を原料とした珍味を製造販売しているそうです。 |
(かぶらぼね)
蕪骨: |
クジラの頭部の軟骨を細く削り、晒(さら)して乾燥したもの。
三杯酢や粕漬けなどにして食べる。氷頭(ひず)。 |
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(まつうら)
松浦: |
九州北西部、旧肥前国のうち玄界灘に面する海岸地方の呼称。
古くは「まつら」と読む。ただし地理的にはその範囲は明確ではない。
地名の起源は、『魏志倭人伝』に記載された末蘆国(まつろのくに)に由来するものと思われ、当初は、現在の佐賀県唐津市一帯ないし松浦川一帯をさしたものと推定される。 |
(げんかいなだ)
玄界灘:
(玄海灘) |
福岡県の北西方の海。東は響灘、西は対馬海峡・壱岐水道に連なり、冬季風波の激しさで名高く、洋中に大島・小呂島・烏帽子島・姫島・玄界島などがある。玄海灘ともかく。
※2005(平成17)年3月20日10時53分頃、福岡市の北西約20kmの玄界灘を震源地とする強い地震で玄界島は大きな被害を受けたことは記憶に新しいことですね。 |
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日本国は、国際的な批判を受けていますが商業捕鯨の再開を決定しました。
2019(令和元)年7月1日水産庁は、商業捕鯨の再開について
『(1) 商業捕鯨に関する我が国の立場
(ア) 我が国は、科学的根拠に基づいて水産資源を持続的に利用するとの基本姿勢の下、7月1日から商業捕鯨を再開します。
(イ) 商業捕鯨の対象海域は、我が国の領海及び排他的経済水域に限定し、南極海・南半球では調査を含め捕獲は行いません。・・・・』 |
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2021年法事で福岡に行きましたので、帰りに九州自動車道古賀SAで、わたしが酒の肴として玄海漬K缶@1,080円/缶を2缶を求めました。
ミンククジラの商業捕鯨が始まっているので、値段は据置になったのかもしれませんネ。
ただ、缶を開けた後の蓋がなくなっていたので、クレラップで空気にさらされ玄海漬が黒くなるのを自分で処置しました。
昔と変わらぬ味で、(わたしの)ご飯の友としてまたウィスキーの肴として活躍してくれるでしょう。 |
21.10.22.更新 05.12.21再編集 02.02.06裕・記編集 |