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ヨエン
豫園 |
1577年明代の高官の潘允端バンインズイが両親を喜ばせる為に造った中国式庭園。
全体が迷路のようになっている。園内の点春堂は1850年に起こった太平天国の乱に呼応して蜂起した小刀会の本部だったそうです。 |
太平天国 |
清末期の1851年、秘密結社上帝会の首領洪秀全コウシュウゼンが反清を掲げて建てた国。広西省で挙兵、南京を占領し天京と改め都とした。原始キリスト教思想をとり入れ、滅満興漢、平等社会実現を理想に掲げ軍を進めたが指導層の腐敗・内紛に加え、曾国藩ソコクハン・李鴻章リコウショウらの義勇軍、ゴードンの常勝軍に敗れ、1864年滅亡。弁髪を禁じ長髪にしたので清側では長髪賊と称した。 |
ソカイ
租界 |
19-20世紀の中国で自国の行政権が失われた地域。阿片戦争後の1845年、英国が上海に設置したのが最初。八カ国28か所に及び、列国の中国侵略の根拠地となった。 |
ガイタン
外灘 |
上海に租界があったころ黄浦江素沿いの黄浦灘路の事を「バンド(海岸通)」と呼んでいたそうで現在中山東一路と呼ばれているこの一帯はアヘン戦争に破れた清朝が上海の土地を英国に貸与した時代から開発が始まった、英国財閥は中国進出の基地としてこの外灘に争ってオフィスビル・ホテルを建設して行ったそうで冬至の建物がそのままあり夜になるとライトアップされて観光スポットになっている。
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東方明珠電視塔 |
外灘対岸に聳える高さ468mのTV塔現在東洋一、世界三番目。夜にライトアップされる。 |
人民広場 |
93,000uの広場、南側に上海市博物館があり12万点もの歴史的書物・美術品を収蔵している |
静安寺 |
南京西路西部にある小さな古刹。三国時代に創建されたと言われ旧名は重元寺、永泰禅院などと言ったそうです。
文化革命時代に破壊され多くの部分が修復されたそうですが現在も工事中であった。 |