上海 豫園他

  中国上海市内をバスで連れて行ってもらい見たものを取り上げました。
※中国上海市黄浦区安仁街に明代に造られた庭園「豫園」も連れていかれました。
※中国上海市黄浦区に建てられている博物館「上海博物館」もつれていかれました。
上海は、北京・西安とは違い近代的な都市で、所謂ビジネスの為の都市という感じでした。
どうしても観光コースに入っている土産物店ではなく、豫園商城をぶらつきながら土産物を買ったのが唯一自由で収穫もあったのですが、ガイドの牟さんは上司より怒られるという事(で提携先の店に行ったという事を証明する為に書類にサインをしました)。
上海博物館見学の時間が短かかった(土産物店に行くよりこちらでまだまだ見たかった)日本でも展覧会で見かけるようになった説明機がこの上海博物館にもあり日本語の説明で展示品を見ることが出来きました。
01.11.14裕・記編集
観光地図 豫園・入口石碑
江澤民主席の揮毫
豫園 豫園
三穂堂
豫園
九獅軒?
豫園 豫園 豫園
龍頭の飾り
豫園商城 近代的な建物群 上海博物館 上海博物館
中國歴代錢幣館
市政府庁舎 外灘 東方明珠電視塔 絵葉書
朝焼けの上海
上海賓館より
静安寺 静安寺ここも工事中 中國歴代錢幣館カタログ
ヨエン
豫園
1577年明代の高官の潘允端バンインズイが両親を喜ばせる為に造った中国式庭園。
全体が迷路のようになっている。園内の点春堂は1850年に起こった太平天国の乱に呼応して蜂起した小刀会の本部だったそうです。
太平天国 清末期の1851年、秘密結社上帝会の首領洪秀全コウシュウゼンが反清を掲げて建てた国。広西省で挙兵、南京を占領し天京と改め都とした。原始キリスト教思想をとり入れ、滅満興漢、平等社会実現を理想に掲げ軍を進めたが指導層の腐敗・内紛に加え、曾国藩ソコクハン・李鴻章リコウショウらの義勇軍、ゴードンの常勝軍に敗れ、1864年滅亡。弁髪を禁じ長髪にしたので清側では長髪賊と称した。
ソカイ
租界
 19-20世紀の中国で自国の行政権が失われた地域。阿片戦争後の1845年、英国が上海に設置したのが最初。八カ国28か所に及び、列国の中国侵略の根拠地となった。
ガイタン
外灘
上海に租界があったころ黄浦江素沿いの黄浦灘路の事を「バンド(海岸通)」と呼んでいたそうで現在中山東一路と呼ばれているこの一帯はアヘン戦争に破れた清朝が上海の土地を英国に貸与した時代から開発が始まった、英国財閥は中国進出の基地としてこの外灘に争ってオフィスビル・ホテルを建設して行ったそうで冬至の建物がそのままあり夜になるとライトアップされて観光スポットになっている。
東方明珠電視塔 外灘対岸に聳える高さ468mのTV塔現在東洋一、世界三番目。夜にライトアップされる。
人民広場 93,000uの広場、南側に上海市博物館があり12万点もの歴史的書物・美術品を収蔵している
静安寺 南京西路西部にある小さな古刹。三国時代に創建されたと言われ旧名は重元寺、永泰禅院などと言ったそうです。
文化革命時代に破壊され多くの部分が修復されたそうですが現在も工事中であった。
豫園商城 豫園 東方明珠電視塔 上海博物館 静安寺



中国旅行目次に戻る



別冊4表紙に戻る
何処に行ってもぶらり散歩一覧
カウンター