萬里の長城登城(八達嶺) ・ 夕食とショー

  中国北京市北西部延慶区に位置する「八達嶺長城」です。。
*(1987年登録)世界遺産・万里の長城の訪問可能な地点のうち、もっとも一般的な観光地だそうです。
秦の始皇帝(前259-前210)が外敵から国を守る為に作った長大な城壁である事は歴史で習いましたよね。
今秋はじめての雪化粧の長城だったそうです。現地ガイドの劉さんによると幸運な事ですよとのことでした。
マイクロバスがエンストを三回もしてその都度運転手が下車してエンジンを廻し動き出しました。
駐車場から入口までの≒300mの間にみやげ物売る人達が寄ってきて煩くなんでも(帽子・スカーフ・手袋等々)すぐ1000円という。中国の人にも観光のスポットで全国からおのぼりさんが訪れていました。
米国人の団体もきていました(テロの関係で少なくなっているようですが)。日本の修学旅行の生徒達大声で喋っているなど品のなさは情けないものでしたね。雪かきをしていましたが登る時より下りのほうが滑り少し怖かったですね。
JTBルックのツアーでしたが広島からは2人1組(私達夫婦だけ)でした、2001(平成13)年11月3日北京観光はJTB各地各種のツアーの方達が集まり19名での長城観光でした。
宇宙から見えるという万里の長城、一度は見てみたいと思っていたのです。見たのは北京郊外の八達嶺という処の万里の長城のほんの一部でしたが長く続いている万里の長城に(わたしは)圧倒されました。
夕食は「天橋楽」で北京ダックを食しながら伝統芸能を見ながらでした。
09.05.09更新   01.11.14裕・記編集

01.11.03撮影

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八達嶺に行く道路 雪の長城入場口に到着 駐車場何故か熊公園 雪の長城

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駐車場の人力車 延々と続いています 雪掻きをしてました 同行の人が撮ってくれました

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足元が滑り危なかった 雪の万里の長城でした 排水処理の樋がありました 雄大でした

01.11.03撮影

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中国式茶道説明 「天橋楽」で夕食 北京ダック 伝統芸能鑑賞
【 豆知識 】
始皇帝 BC259〜BC210 名は政。BC247秦王になる、BC221天下統一し皇帝と称した(匈奴を北に追い、南は広東地方まで征服)郡県制をしき中央集権政策を強化して中国専制政治の祖型をなした。万里の長城や阿房宮等の大土木工事を起し道路の整備、度量衡や文字の統一を図る一方、焚書坑儒による思想統制を行った。
万里の長城 中国戦国時代から明代までの間に辺境防衛の為に築かれた城壁。戦国諸国が匈奴防衛の為に築いたのが始まり秦の始皇帝が大修築を加えた。南北朝時代に北方民族の侵入の激化により現在の位置まで南に後退した。明代に現在の規模になった。東は河北省の山海関から西は甘粛省の嘉峪関(カヨクカン)に至る全長≒2400km。城壁は高さ≒7.8m、幅≒5.7m
2009年4月報道で万里の長城の長さについて報道していました。
これまで発表されていた6350kmではなく8851.8kmの長さだったと訂正されということでした。
09.05.09追記
BC221‐BC206始皇帝が六國を滅ぼし天下統一した王朝。三代15年で滅亡(漢王朝となる)
1368‐1644.紅巾コウキン軍の中から朱元璋シュゲンシュウ(洪武帝)が台頭し元(征服王朝)を追払う。都は南京、永楽帝の時に北京に遷都。李自成リジセイによって滅亡した。



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