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※2016年は、1991年以来忘れていたセ・リーグ優勝の栄冠を獲得しましたが、日本一の栄冠は獲得できなかったのです。 |
昨(2016)年待望のセントラルリーグ優勝を獲得し監督力(監督術)が神っていることが証明されたようにわたしは思いました。
2017年は投手陣の大黒柱であった黒田投手が引退し、そのあとを若手の投手陣でカバーしなくてはならない苦しいシーズンになることは想像に難くないところです。それに比べれば、打撃陣は新井選手の力の衰えは隠しえないでしょうが、1番田中選手、2番菊池選手、3番丸選手、そして今年は(神るという枕詞を使うことなく)堂々たる打撃を見せてくれるであろう鈴木選手たちの打撃力はますます充実し、おごることさえなければ、投手陣の力不足をカバーできると思うのですが。
昨年優勝チームということから他球団にマークされ苦しいシーズンにはなるでしょうが、セントラルリーグ優勝を獲得し、昨年忘れた(33年ぶりになる)日本一の栄冠を獲得していただきたいものです。 |
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2016年監督力(監督術)が問われる2シーズン目を迎えることになりました。
前田投手の大リーグ移籍、黒田投手も昨期のような活躍は難しいでしょうから、厳しいシーズンになるでしょうね。
しかし、監督、コーチ陣、選手諸氏のたゆまざる努力と勝つんだという精神的強さでファンの期待に応えていただきたいと思っています。今期は、菊池選手、丸選手とも気合の入れ直しができたはずでしょうから打撃陣の奮起で、中継ぎ投手力、抑え投手力の弱点をカバーした試合運びで、優勝という美酒を飲みたいものです。 |
2016年9月10日讀賣を破り、東京ドームでセントラルリーグ優勝を決めました25年ぶりの優勝です。
監督、コーチ陣、選手諸君、球団関係者・裏方の方々、よくやってくれました。
ありがとうございました。 |
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昨(2015年)シーズンの悔しさを糧にしたのでしょう、今(2016年)の快進撃につながり、25年ぶりのセントラルリーグ優勝を9月10日に讀賣を破り決めました。
監督、コーチ陣、選手諸氏、球団関係者・裏方の方々、よくやってくれました。
歓喜の涙を流したわたしでした。 |
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2016年9月10日讀賣を破り、東京ドームでセントラルリーグ優勝を決めました25年ぶりの優勝です。
監督、コーチ陣、選手諸君、球団関係者・裏方の方々、よくやってくれました。
ありがとうございました。 |
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2016年10月15日CSでDeNAを4勝1敗で破り、日本シリーズへの挑戦権をえました。
この時期まで、贔屓チームを応援できる幸せをかみしめ、ありがとうございます。 |
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2015年新監督を迎えることになりました。
オープン戦での貧打のチームを露呈し、勝てないチームだったのを、いかにして今年のキャッチフレーズ「常昇魂」というチームにしていくのかの手腕が監督・コーチ陣に求められているとわたしは思っています。
解説者諸氏がおだてて予想する優勝候補のチームだと勘違いせずに、コツコツと粘り強く努力し、勝利を重ね、優勝という美酒をファンのもとにも届けていただきたいと願っています。
1991(昭和56)年以来優勝した事はないチームなのですから、決して強いチームだと勘違いすることなく、淡白にならず、粘りを忘れずに相手チームに立ち向かって頂きたいものです。 |
大きな采配ミスがなくてもチームを勝利に導けないことは監督の責任なのだと思う情けない(4位で終了した)今シーズンだったとわたしは思っています。 |
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2014年10月10日阪神とのクライマックスシリーズファーストステージに臨む直前に野村監督の電撃辞任が発表されました。
聞くところによると「松田オーナーは周囲に『わしは毎年最低でも勝率5割は達成できるだけの戦力を整えて現場に渡している』と胸を張ってきた。昨季まで4年間で1度も勝率5割をクリアしていない野村監督に対する評価は決して高くなかった」といわれているそうです。
この話の真偽をわたしは確認できる立場にはありませんが、何を云っているのか!と思いました。
ここまで低迷するカープにしたのは、歴代監督にあることは当然であるとは思いますが、それにもまして選手補強を(資金がないからと云外にいい)怠り、カープが育て主力になった選手を指をくわえて引き止める事さえしなかった無能な現オーナーなのです。そのように名オーナだった親から株を受け継いだだけの責任感がない事にあきれ果てるから無能なオーナーだとわたしは思うのです。 |
2013年クライマックスシリーズに進出したことで、来季の指揮もという無策なオーナーには、オーナーとしての責任を自問していないのではと思わずにはおられません。
サッカー・サンフレッチェ広島監督の指導力の例を出すまでもなく、大きな選手補強もなくむしろ主力選手が出て行ったチームを2年連続日本一に導いた事を考えた時、4年も続けて勝率5割を切った監督の更迭もあったのではと個人的には思っています。
2013年、もう少しましな成績であってもおかしくはなかったのではと思う処が身びいきで、贔屓の引き倒しなのかもしれません。しかし、クライマックスシリーズに進出したことを素直に喜びました。
今シーズンは後半戦から負け癖を脱しつつあるのではと感じられるチームになって来たように思っていたら、クライマックスシリーズに進出し、広島の街は優勝でもしたのではというほど盛り上がりました。
しかし、勝率は5割を割っている事、そして監督の趣味で成績も上がっていなかった堂林選手を使い続けていましたが、怪我をした事もあり、いままで出番が与えられなかった選手が満を持して出だしてからチームの勝利が増えてきた事を監督はけっして忘れてはならないと(わたしは)思っています。 |
2012年12月05日。クライマックスシリーズへ進出できるところまで来た今(2012年)シーズンだったのに、負けが込んで来た時貧打を選手の責任にかぶせ、無策であった監督に随分腹が立ったことを思い出すのです。
それにもまして、最終結果が出ていないのに早々に来季の指揮もと云う無策なオーナーには、オーナーとしての責任を自問していないのではと思わずにはおられません。腹が立つことばかりではやり切れませんが、うれしいニュースもありました。
野村祐輔(岡山県出身:1989- )投手が、今(2012)年度のセントラルリーグの新人王を受賞した事です。他に対抗馬がいないことから新人王獲得は間違いないだろうと(わたしは)思っていましたが、一つのめどとなる10勝に手が届かず9勝11敗という(貧打のわれらがカープ故の)成績に一抹の不安を持っていたのです。しかし、規定投球回に達し防御率1.98(セリーグでは、マエケンに続い2位の防御率なのです)には誰もが新人としても評価していると思っていましたが。
うれしいニュースでこの頁を編集することを忘れたわけではないのですが、来季こそと願っています。
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*新人王受賞の投手成績・防御率1点台は1966(昭和41)年の読売の堀内恒夫(1948- )投手以来で、46年ぶりだそうです。 |
2011(平成23)年11月23日「カープファン感謝デー」で、来季の新キャッチフレーズ「破天荒」が決まった事をニュースで知りました。勇ましい言葉が人を奮い立たせる事を否定することはできませんが、基礎的なものが出来きなくては「破天荒」にはなれない事を肝に銘じ、クライマックスシリーズ進出そして優勝の栄冠を勝ち取っていただきたいものです。
職業野球というもの優勝という栄冠を求めて闘う(戦う)のでしょうが、他球団と戦うための戦力というものが分析されたデーターを受け取り、不備な部分を補強という手段で整えるのが球団オーナーというものでしょう。
ここ何年もその責任を果たしていない結果が出て、今(2011)年低(定)位置・セントラルリーグ5位に終わりました。
今シーズンも(飛ばないボールを使用したからでない)打てない、ここという時に抑えられない投手陣のカープだったのです。現オーナーの無能さを際立たせた結果と(わたしは腹立たしく)思っています。
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2010(平成22)年の不甲斐ないシーズンでした。
われらが広島東洋カープです。1991年六度目のセリーグ優勝以来美酒を(カープファンは)飲むことができません。
今(2010)年ぬるま湯を脱するかと期待を込めて新監督をむかえた今年だったのです。
マツダスタジアムの最終戦においてゲーム終了後、クライマックス・シリーズにも進出できずに、5位が決定しているのに、スタジアムに残っていたファンに対し監督が(逃げるように)一言も発することがなかったと聞くにつけ、『俺たちは勝つ』と、たかだかに宣言したシーズン前の言の葉を忘れたのかと、思わずにはおられません。
戦力不足はシーズン前からわかっていた(とわたしは思っていましたがそんな弱気)が、気力と根性で勝抜いた過去の栄光を求めてのことだけだったと、素直にファンに云うのが筋ではなかったのかと思ったのです。
しかし、監督を縷々する前に、(わたしは顰蹙をかうのですが)現オーナーの無能さを思うのです。先発陣、中継陣の弱体、打線のひ弱さ・・・もう何年も前から云われていることなのです、弱点の補強は職業野球だから必要なことで、FAにおいても他球団の主力を獲得するくらいの補強、それも近い未来の美酒を味わう序曲の一つの方法なのではないのでしょうか。 |
2009(平成21)年ブラウン監督4年目を新球場で迎え、多くのファンの声援で、終盤までクライマックスシリーズへの進出を争いましたが、昨年台頭した4番打者、(外国人)エースが対戦相手の研究を上回る活躍ができず、5位とい最近の定位置で終わりました。
結果責任ということでしょう監督更迭となり、新球場2年目をチーム生抜き・野村謙二郎監督でむえることになりました。 |
2008(平成20)年ブラウン監督3年目をむかえ、新4番打者、新エースが台頭、ストッパーの活躍、また足を使った試合ができるようになってきて、クライマックスシリーズへの進出を中日ドラゴンズと(3位を)争い久しぶりにシーズン終盤まで盛り上がりました。しかし、結果責任という最近はやりの言葉で結べば、4位、勝率4割9分6厘と決して満足できる成績ではなかったのですから(監督は)自画自賛はできないのではと。 |
2007(平成19)年ブラウン監督2年目をむかえ、飛躍のシーズンになる予感大だったのですが、セパ交流戦から昨年同様大きく負け越し、後半戦は来シーズンの飛躍を期待してもいい選手たちの起用もなく低迷したシーズンで、ヤクルトの不甲斐なさで微差の5位で終わりました。シーズン終了後、エースと4番打者がともにFAを宣言し球団を去っていく選択をしました。 |
2006(平成18)年新監督を向かえ、迷走していた新球場問題も広島駅横のヤード跡地に決定し、飛躍できそうなシーズンでしたが、最終的には5位で終わりました。 |
2004(平成16)年シーズン中からごたごたしだした職業野球、読売ジャイアンツを中心に動いていることには違いないのでしょうが、6球団・セパ2リーグから10球団・1リーグへとの思惑、そして8球団1リーグが最終形と縷々されていますね。
1リーグ10球団までなら球団の存続はあるでしょうが、1リーグ8球団を描いているという讀売元オーナー、経済界の首脳といわれる人物には我らがカープは入ってないと噂されている?ようですが。 |